佐々木敦「ポストロックとポスト文学?」

そんなに簡単に高橋源ちゃんを忘れていいの?
阿部ちゃんがデビュー時から源ちゃんを意識してるのは情報公開していることでもあるし。

全然、成功していないことは認めるけど自作「ヒット・パレード98-89」(PDFファイル もう直ぐサーバーレンタルの契約が切れるので消えます)でやろうと思ったのは「源ちゃんを踏まえた阿部ちゃんを踏まえて書く」ってことだったので。
そうすると自然と佐々木氏の言っている方向性に合致してしまうわけで。更にポップ・ミュージックの歴史も意識してるし。

もう自作語りを、こういう場でやっても許されると思うのでやってしまいますが。
ある意味で純文学の書き方をしつつ(まあ私小説だし)、アイディアストーリー的なオチをつけているのは「八十年代型」なんだけど、日本のポップミュージックの言葉の引用や音楽批評や文芸批評を雑多にぶち込んで、かつシームレスに繋げて「小説」として成立させようと。

実際に執筆方法としては、敢えて第一稿を手書きにして(これは保坂和志を意識している)、マニュアルな文章の流れを出しつつ、更にそれをテキスト・ファイルにデジタル化して編集するというかたち。
ポスト・プロダクション重視としては音楽よりも映画を意識しているんだけど。
一番、大きいのは手書きで「私」を使って上手く行かず、「彼」して書いて、更にそれをデジタルで「私」に変換したり。
情報検索ではインターネットを思いっきり活用してるし。