「マイケル・ジャクソンはなぜ死んだか?」

性愛は黒人音楽では伝統的なテーマだ。でも同時に非黒人が黒人音楽を敬遠する最大の原因でもあった。だからマイケルは性愛を歌うことを止めてしまった。『スリラー』からのシングルカット曲、「ビリー・ジーン」「今夜はビート・イット」「スリラー」は、それぞれストーカー、喧嘩、モンスターを歌ったもの。ほとんど子ども向けのノベルティソングである。十一歳のときに「俺のもとに戻ってきてくれ」とガールフレンドに懇願していたマイケルは、二十三歳で幼児帰りしてしまったのだ。

非常に見事な評だと思います。

『スリラー』は聴きなおしてみましたが、まだまだ人力でやっていた部分はあるとは言え、絶対、デジタルビートに合わせて演奏していると思います。
その意味ではYMO的な「ドラマーの居るテクノ」を導入してもいる。
典型例は「今夜はビート・イット」で、これはイントロからしてドンカマに合わせていることは確実。バックは完全な白人ロック。
でも「スリラー」なんかでもカウベルの使い方に黒人音楽的なノリが薄っすらと残っているし、リアーナの曲で引用されてる「スタート・サムシング」あたりは生音を足しすぎ、隙間が少なすぎて、今聞くと野暮ったく聞こえますが、デジタルビートと伝統的な黒人音楽のぶつかり合いとも取れます。

「破裂音の塊」と評されているボイスパーカッションを多用するボーカルスタイルに移っていったのも、「現代的などうしてもビートが足りないように感じてしまう」伝統的なソウル歌手としてのマイケルが残り続けたからかも。


それにしても、これは「構造」としてパの付く女性アイドルと同じだと思う。