仲根 かすみ結婚から「グラビア・アイドル」について考える

うーん、彼女にとっては幸せなんだろうな、この方がと思う。
「グラビア・アイドル」と称される人たちの中では割と興味のなる人だったんだけど、ちょっと「実力のわりに中途半端」で終わったかな、と言う風に芸能人としては思います。

それにしても「グラビア・アイドル」っていうのは不思議な存在だな、と思うわけです。
「アイドル」の私的定義は「写真集を出している人」=「ビジュアルだけでも商売になる人」ということになる。だから「写真集を出してないグラビア・アイドル」は、まだアイドルじゃない(単行本ではなく雑誌というものに依存しているから)。また本格的な女優や歌手でグラビアに登場する人でも「アイドル的」、写真集を出せば「ほとんどアイドル」ということになる。

なんでグラビア・アイドルというものが生まれたかと考えると「グラビアを主たる収入元とすることができるようになったからなんじゃないか」、とも推測できる。
(ちょっと議論を整理するために以下、女性アイドルに限定して考えます)。

逆に言うとCD(昔はレコード)というメディアは、ある意味でジャケ写真(ビジュアル)と音楽(オーディオ)とのパッケージ商品なんだけど、そちらでのアイドル的展開、つまり「アイドル歌手」という売り方が80年代中ごろぐらいから退潮していくという流れがあって、そこから「アイドル冬の時代」と言われるようになったのだけど、「需要」は存在しているわけで、そこにどう「供給」するか、と問題が出てくる。

そうすると純粋な「アイドル的要素」はビジュアルなので、そこに特化するような流れが出てきて、もしかするとミス・マガジンあたりがそういう流れの端緒なのかもしれないけど、
「なり手の側」もとりあえず「歌とか演技」とか芸の部分は置いておいて、芸能人になる近道として利用するし、「受け手の側」も利便性を考えれば、歌とか演技とかの要素を除いてビジュアルに特化してもらうことのメリットもある。

そういうことでアイドル・グラビア雑誌も生まれるし、マンガ誌を中心にグラビアが増えてくる。写真誌がジャーナリズムから、そちらの方にシフトする(「フォーカス」から「フラッシュ」へ)というのもあるかも。

そうすると、そちらの仕事が増えてくるので、それである程度、商売になってしまう。例えば単体のCD、写真集であれば売上は演者一人の力にかかってくるわけだけれども、グラビアの方は、そういうリスクは低い。
プロダクションの方も撮影の時だけ実家から呼んで仕事をさせて、ギャラをある程度、与えておけば、商売になる、なんてこともあるんじゃないかな。

なんで、こんなことを考えているかというと、どうにも質が下がっているような気がするからで、まあ単純に数が増えたからそう思うだけかもしれないんだけど。
「グラビア・アイドル」って言葉が出来てからグラビアが面白くなくなったような気もしてしまうわけです。
うーん上手くまとまらない。