保坂和志「世代像がないから人生と向き合える」

 世代論というのはマスコミが自分たちの都合のために作り出す概念だ。しかし、困ったことにその概念によって、それに属する本人たちまでが自己像をカン違いしてそれに守られてしまう。
「なになに世代」という呼称を持たずに来てしまった私の学年は、傍から見たら特徴がない。「傍から見て特徴がない」ということは、じつは「本人たちも自分の特徴を知らない」ということなのだけれど、それゆえ語るべき特徴に守られず、「個人レベルの人生とは特徴がないものなのだし、あったとしてもたいしたものではない」という〈真実〉を、抵抗なく受け入れることができる。(私のこの人生観は一貫していて、新聞のインタビューでこういうことを答えると、最初の頃はよく「なげやり」と書かれたものだった。マスコミは〈真実〉を語る場所でなく、幻想を生産する場所なのだ。)