東浩紀による「筒井-春樹問題」を再び

その後、また考えるに、やっぱり、カンタン系http://kantank.hp.infoseek.co.jp/index.htmでの異論の通り、かなり粗い論であるなあ、という感が強くなってきた。
確かにスガ秀美と渡部直己が「筒井-春樹」を痛烈に批判したことは確かであるにしても、柄谷行人には「村上春樹の『風景』」という批判的論考があっても、筒井に関しては私の知る限り、端的に無視という感じだった。
それが実際に文壇政治的に効果があったかどうかは、かなりアヤシイし。
結局は東氏の「脳内日本文学史」だ、ということで良いと思うんだけど。

ただ、それでも私が東氏の論に対して反射的に頷いてしまうのは、世代的な共有感覚というか、限界のようなものなのか。
それだけ「抑圧」が強かったということだと思う。

もう一つ「文壇政治的」なことを書いておけば、谷崎賞と、その選考委員、丸谷才一という軸もあるような気も。

谷崎賞を取りたがっていた中上健次については、正直、それほど得意な作家ではないんです。リアルタイムは『奇蹟』ぐらいのころなんだけど、一回挫折して、読み直したぐらいだし、『地の果て 至上の時』にやっと手をつけている状態だし。
とりあえず、その他、『岬』、『枯木灘』、『千年の愉楽』、『紀州』、『化粧』、『重力の都』、『水の女』は学生時代に読みましたが。

最近、強く思うんだけど中上は初期の方が断然、良いんじゃないか、ってことで。つい去年ぐらいに『鳳仙花』を読んだんだけど(大西巨人が『枯木灘』と並記して語っていたので)、これは小説として非常に良い出来だと思う。
私などは読み始めたら92年に死去してしまって、「文壇的」には後期作品をどう評価するかという問題が大きくなってしまったので、そこで上手く興味が持てなかった。だって評者側も「上手くは書けてないけど、あえて」という風に評価している後期作品を読む気にはあまりならないわけで。

スガ、渡部が筒井と春樹を批判した時期というのは、二人がピークを過ぎた頃だと思うんだけど(その後、盛り返しているかどうかは前にも書いたように全く読んでないんで判らないです…)、それなら中上はどうだったんだ、という視点もやっぱり必要だよなあ。