おそらく誰でも家族を「一台=ひとり」持つようになる

「新ポータルとは、「ピーナツバター」でなく「パン」そのもの」

Web時代の「共有」は新しいコミュニティを作り出す。
財の収奪(税)と再配分が国家の交換形態だとすると、情報財の共有=共有財コモンズの増大は「来るべきコミュニズム」の基礎となる。
しかし衣食住=家政=経済は「下部構造」であることには変わりない→国家の普遍性。

動画がWebに飲み込まれたことで「新しいメディア環境」は最終的な局面に移行する。
問題は双方向性における入力の形態。
文字通り「コンピューターとの対話」の可能性が端緒になる。
例えば「テレビをつけろ」という音声が「入力」になるには、事実確認的な「テレビをつけろ」と行為遂行的な「テレビをつけろ」の差をつけなければいけない。
それを作り出すのはコンピューターの固有名では?

例えば私が個人所有のコンピューターにHALという名前を付ければ「HAL、テレビをつけろ」という「呼びかけ」を含んだ音声によって、「入力」を行うことが可能になるだろう。


ちょっと生硬な書き方での思考実験になりましたが、コンピューターが「家族」になる日は近いんじゃないかな、と思うわけです。
それこそ真にパーソナルなコンピューターという感じもします。
ユビキタス・コンピューティングということになるんでしょうか。
常時音声入力なデバイスが生まれて、それに向かって話せば、色々なことをしてくるような、そんな「家族」。
というか「使用人」かもしれませんが。
ただ、高度な対話が可能になれば、やはり「家族」に近づいていくんじゃないでしょうか。