中上健次作品における人称と視点に関するメモ

(記憶で書いているところ多々ありで、間違いを含むかもしれません)。

中上は初期の一人称の作品から転回し、三人称による描写に向かう。その流れの達成が「岬」なのだが、本作における三人称「彼」は金井美恵子も指摘しているように「私」と置換可能な三人称一視点である。
そこから更に転回し「岬」の「続編」である初の長編『枯木灘』の単行本において連載時は代名詞「彼」であったのを「秋幸」という固有名に置き換えている。作品中、秋幸は終盤で退場し三人称多視点の描写に移行する。
しかしながら柄谷行人が指摘しているのとは異なり、代名詞「彼」は、それ以前から続いており後に『化粧』にまとめられる連作においては、その後も、しばらく用いられている。

次に固有名による三人称が用いられるのは『水の女』に収録されている女性の視点から描かれる数作で、それらは単行本刊行時に分離独立させられているが、『紀伊物語』収録の中編「大島」と共に「すばる」に連作的に発表されたものであり、女性の固有名三人称一視点は長編『鳳仙花』につながる。

そこから更に中上は転回するのだが、分裂拡散の様相を呈し、『千年の愉楽』ではオリュウノオバの俯瞰的視点、『熊野集』では私小説的「私」の一人称と物語的三人称、『地の果て 至上の時』では秋幸とモンに固定化された三人称二視点が、それぞれ用いられている。
この中で、その後(「大島」の続編「聖餐」、『日輪の翼』、『異族』、『讃歌』)に引き継がれたのは『地の果て』の書法なのだが、ある意味、小説の制度においてはポピュラーなこれは、中上においては衰弱となって現れる。

更に中上は『奇蹟』において、この書法を「破壊」する。
その前触れは『野性の火炎樹』における「亡霊となったオリュウノオバの視点」。
前者においては「トモノオジのアル中妄想的視線」に「亡霊となったオリュウノオバの視点」がズレつつ重なり、更にオバ/オジの視点に含まれるタイチの視点と、それから距離を置いた(置かれた)イクオ(郁男)の視点が、語りを破壊する。

晩年の中上は『軽蔑』におけるように固有名による三人称一視点に「回帰」していた。