『失踪日記』書評(いしかわじゅん)

 やや気になったのは、ペン入れの道具だ。
 主に、サインペンというかミリペンというか、均一な線で多少滲みがあって抵抗の少ないペンで描いている。これは、吾妻には合わないと思う。ペン先に力が籠もらない。描線がカーブするところに力が入らず、するりと描けてしまうので、吾妻の描こうとするものよりも楽にできるものになってしまう。形まで変わってしまう。結果として、吾妻の意図するものとは違うものができてしまう。違う意味のものになってしまう。与える印象も違うものになっている。絵は、内容をも規定するのだ。

何かと話題な本ですが、これと古谷利裕氏の評(3月8日)を読んで、チェックしておかなきゃ、という気分になった。

ただ、どうしても気になってしまうのが「絵の力」の衰えだ。ここで言う「絵」とは、コマの構成や、構図(視点)の転換なども含めたもの。単純に、過去の吾妻氏の作品にからは、もっと「動き」が感じられた。『失踪日記』は、そんなに動きのあるような題材ではないとも言える。しかし、例えば『不条理日記』も、『やけくそ天使』にあるような「動き」という意味では、ほとんど「動き」のない作品だけど、そこにはコマとコマとの関係の「連続と断絶」が生み出すような、登場人物たちがバタバタと動くのとは別種の「動き」があった。