保坂和志「突然だが、「近代」の終焉について―やっぱり「近代」は終わりつつある―」

http://www.k-hosaka.com/merumagaK/16.html

 それで思うのだが、「近代」というのは、「世界が人間によって見渡せることがで
きた(見渡せるようになることを望んだ)明証性の時代」だったということなのでは
ないか。近代以前というより、遠くギリシャの昔あたりから「見える」ということが
確かさの最高の保証みたいになってきたわけで、「近代」に至ってギリシャ以来の価
値観が完成された、かに見えたわけだけれど、「近代」が造り出したコンピュータの
中こそが「見えない」ものになってしまった。