『群盗、第7章』(オタール・イオセリアーニ監督作品)評

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『群盗、第7章』の冒頭は、試写室らしき場所に男たちが集まり、映写技師がフィルムを回し始めるところから始まる。つまり、『群盗、第7章』は映画の中の映画によって構成される。酔っぱらった映写技師によって、フィルムは間違って上映されてしまう。すぐに間違いに気付き初めからやり直されるものの、一度彼の姿を見てしまうと、私たちの見た映画が本当に正しい時間軸に沿っているのかと思わず不安になる。(…)
観客は、目の前のドラマを好き勝手に操作できるかもしれない映写技師の姿を見たくはない。フィルムを掌握する人物が、酔っ払いの男だとは思いたくない。本物だ、という前提で観客は映画を見る。たとえば何らかのトラブルによって音が聞こえない映画を見せられても、それがトラブルだとアナウンスされるまでの間、観客は辛抱強く映画を見続けるだろう。(…)

シネ・アミューズにて開催中のイオセリアーニ映画祭http://www.bitters.co.jp/otar/index.htmlも残す事、後一週間、とりあえず『素敵な船はゆく』以外は観たので、ということで触れておこうかなと。
ちなみに上映館は場所によって前の観客の頭でスクリーンが見えづらくなってしまう、ちょっと個人的に赦せないところで、アドヴァイスをしておくと段差が付いている後方で見たほうが良いです。
観た中で一つだけ挙げるとしたら『群盗、第七章』http://www.bitters.co.jp/otar/gunto.htmlが必見だと思います。
関連:http://mezzanine.s60.xrea.com/journal/archives/000019.html