何回も書いてるように再販が無くなったからと言って本の値段は安くならない

というか逆に高くなる、というのが私の意見でもあり業界的にそう言われているところ。

まず本屋のマージンが委託と引き換えに極度に低くなっていること→再販撤廃になれば高くしなければならない。
ということで言うと直接的に値段を下げるには、取次のマージンを低くするという手がある。まあ返品がないんだから、そうなって当然でしょう。
更に同じ理由で版元のマージンも低くしないといけないんだけど、そうしたからと言って果たしてアメリカと同じく書店マージン50%というのを今の価格のままで確保できるかどうかは疑問です。
現在は大体20%強だから更に30%弱を捻出しようとすれば取次マージン8%では足りず、版元の方からかなり削ることになるけど、これもかなり無理がある。
現実的には、価格のかなり比重を占める印刷、製本の質を低くするという手段も考えられる。

そう日本の本って高級すぎるよね、って海外のペーパーバックとか読む人は思うところでもあると思う。
そこで、モノとしての本が変質しないと難しいだろうな、という話になるわけですが。

まず文庫という廉価版の存在が大きいですね。あと最近になって各社の創刊が相次いだ新書。ブックオフの社長が言ってた事なんだけど「これはダンピングだ」と。私もそう思います。
出版社が「本の価値」を「価格」のかたちで低める行為だと。
でも文庫も新書もペーパーバックと比べればモノとして「高級品」なんですね。
もちろん読者の方が粗悪な紙質と製本を望んでないというところはあるかもしれません。でも価格の方は安いこと望んでいる、というか低くないと買わないと。
このへんは歴史的な経緯として、物価の上昇と本の価格の上昇が上手く連動できなかったというのがあるかもしれません。

「重力」01号でのインタビューで古井由吉が次のようなことを言ってます。
まず50年代後半にハードカバーが450円ぐらいになって、これは物価と比べて高すぎた。そのために価格上昇を抑制する時期が長く続いた。それが読者の本の値段に対する感覚を固定してしまった。
しかし70年代中ごろから物価の上昇に合わなくなり80年ごろには千円以下に保つのが困難になり始めた。

これは結構、なるほどという感じですね。逆にCDなんかは「レコードと同じぐらいで、3000円でも、これが当然」という感覚だったんでしょうリスナーは。
さて70年代には文庫戦争というのがありました。いままでの岩波、新潮、角川ぐらいしか文庫を出していなかったところに講談社が参入する。更に角川が社長交代を機に、今まで「古典を収録する器」だった文庫に、内外のエンタテインメント系のものを収録するようになる。

もう、これからしダンピングだったんじゃないかという気もします。
文庫というのは古典を収録する器としての価格設定だったということは、つまり著作権料の部分で安かったのだと思うんですね。プラトンには印税払わなくて良いですから。
それが現代の作家のものを収録するとなれば印税はバッチリ発生するわけです。でも、そこを大量生産でしのぐと。
中堅以上の作家にとっては過去の作品を再度売る事ができて非常に助かったようです。
でも結果、本の価格を上げる機会を逸しているわけです。
もう読者の方もその感覚を引きずっている。だから今、ハードカバーで2000円以上とかなれば「高すぎる」ってことになる。でもCD3000円ですよ。
文庫は1000円以下だけどCDシングル1000円以上ですよ、2曲しか入ってないのに。

アメリカだとハードカバーは2000円以上のようですね。そこで書店が値引きをすると。ペーパーバックだと1000円以上で、これも値引き。
このハードカバー/ペーパーバックの関係は日本のハードカバー/文庫の関係とは全然違うわけです。あっちだと、まずハードカバーで出して、それほどしないで普及版としてペーパーバックを出す。日本は数年後に文庫化です。しかも文庫になるのは数が限られてます。

まあ、「ダンピング」のために読書人口の低下に抑制がかかった、とかいう効果もあったかもしれませんから、一概に「罪」とはいえないとは思いますが、本の価格としての「価値」は低くなってしまったということは言えるかもしれません。まあブックオフとかに行けば良く判ることなような…。