福田和也他『皆殺し文芸時評』(四谷ラウンド)ISBN:4946515186。

手をつけずにいたものを、同時代ゲームhttp://homepage2.nifty.com/jituzon/での紹介を読んで。それだけ「日本現代文学」に興味がなくなっていたんです。部分的に「新潮」掲載時に読んだ章もあり。
引用されている箇所でのSFとしての筒井評価ということを、私なり考えると、海外での「ニュー・ウェーブ→スリップ・ストリーム」の流れに対応する作家、と言うことだと思うんですが、いかがでしょうSFプロパーの方々?(って呼びかけても読んでないかな)。

以前のSFの書き方から脱却して形式上、文体上の実験を行って可能性を広げていった、ということで。

個人的には、それに付随して、ハードボイルド文体を日本語で実現する上で、かなり重要な位置をしめているとも考えるんですが。
そこにはヘミングウェイとともに、かつてB級ハードボイルドと言われたところの作品群も関係してくる。「俺」という一人称というのは、後者の翻訳(田中小実昌あたり)から来てるわけですよね。で、それらはフランスではロマン・ノワールと呼ばれて評価されたあたりのものでもあるわけで。
これがあって初めてスラップスティックを文章で表現することが可能になったとも考えられるわけで。
清水俊二訳チャンドラー→村上春樹のリリシズムとは違うライン。

私が感じるに阿部和重って、筒井に関しては、結構、昔から読んでたんじゃないか、という気がするんだけど。