『仔犬ダンの物語』(澤井信一郎監督)評

m@stervision:http://www.ne.jp/asahi/hp/mastervision/archive2002d.html#DAN

時間がないからといって澤井信一郎は決して「子どもたちの自然な演技」などを狙ったりはしない。下手でもいいんだ。下手でもいいからちゃんと台詞を言わせている。そこにそういう台詞が書いてあるのはドラマにその台詞が必要だからだ。澤井信一郎はフィクション(つくりもの)の力を信じている。過不足のない起承転結を備えた70分。

偽日記:http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/nisenikki.html(03/12/30)

ぼくには、澤井氏の求める「演出や演技が無効になってしまう地点」とは、この「堅さ」の生々しさが露出する瞬間の、なんともエロティックな表情のことではないかと思う。澤井氏にとってのエロティックな視線は、対象を執拗に舐めるように追ってゆく視線によってではなく、演出によってある程度外枠をつくっておいて、そのなかに対象を冷たく突き放すように置くことによって生じるのだと思う。

阿部和重が「文学界」(『映画覚書Vol.1』収録)での評で澤井監督による『17才 旅立ちのふたり』を激賞していて、その時は劇場で見逃してしまい、やっとビデオ/DVD化されたのだけど、レンタル屋で見かけないので(レンタル禁止なのか)、えいやと思いきってセルDVDを買ってしまった。
私は阿部氏と違って「傑作」だとは思えないけど、というのは、まともに演技できない主演二人、石川、藤本(モーニング娘。)と大したことないシナリオは明らかに弱点だからで、しかし、それにもかかわらず、ここまで「見せる」のは、とんでもない作品だと思った。
観たい方は、お貸ししますので御連絡下さい。

ということでWeb上の評を探したんだけど、まともなのが無いので前作についてのものから(ちなみに『17才』はm@stervisionのmy favorite movies 2003では邦画部門25位http://www.ne.jp/asahi/hp/mastervision/mfm2003.html)。

ついでに『国際シンポジウム小津安二郎』で澤井監督が小津の演出について語っている部分を引用。

 小津が求める演技ということでは、先ほど淡島さんも香川さんも、小津さんがはめ込んだ形までいかないとだめだということをおっしゃいました。詰まるところは余計なことをしなくても、シナリオがきちんとできていれば、感情などという不確かなものに基づいた演技をしなくても、小津さんのリズム、小津さんのテンポ、小津さんの指定する強弱、それをやれば、描こうとする感情は観客のなかにきちんと醸し出されるものだと、小津さんは語っているのだと思います。

他にも興味深いことを語っているので興味のある方はどうぞ。
それから相米慎二と自分の演出との違いを語った文章も引用したいんだけど、掲載誌の『映画芸術』が見当たらないので、見つかったらまた、ということで。

とか書きながら澤井監督作品は『野菊の墓』すら観てないので、補完予定。