「コピーレフト的「運動」の着地点」

http://homepage3.nifty.com/MASUDA/rock/index.html
一番最初の段落を『神聖喜劇』と照らし合わせて考えたくなるのですが、それはさておき。

「アーティストに力を」「消費者に力を」という主張は,流通業者がその歴史的役割を終えつつある現在,おそらく「正しい」(しオレもその尻馬に乗っかってるところだ。前者には留保はあるが)。しかし,現在そのような「正しさ」がより力を増すことによって,リストラという結果しか得られない人々は「奢る強者であった罪人」なのだろうか。それは明らかに違うだろう。

ある意味で良く判る、というか、別の業界で同じような波をカブっているところなわけで。はっきり言って「中間で搾取している」仕事をやっていますから。

ただし、そういう風にソフトランディングできないようになっているのも、再販だとか硬直的なシステムに依存していたため、ということも考えつつ現場でやっているわけで。
もっと大きな枠組で言えば資本主義のゲームが勝者と敗者を生むのは至極、当然なことで、その前提を踏まえつつ、どうすりゃいいのか、ってことです。