中上健次『熊野集』読了。

枯木灘』と『地の果て 至上の時』をつなぐ連作短編、というか連作としては、かなり破綻してます。
最初の一編「不死」は古典物語的なのだけど(A)、次の「桜川」から「私小説」になって(B)、また物語に戻って(A’)、更に私小説に戻る(B')のです。
A'とB'の間に位置して異例に長く(他と比べると三倍)、唯一「小説」的な「葺き籠り」が重要であるようにも思えるのだけど、じっくりと読めてないので再読しようかなと思います(思うだけかもしれないけど)。

「妖霊星」などでは「私」の家族が「秋幸」の家族の名前で呼ばれてしまう、という事態が起こっていて、これはかなり「危機的(あやうい)」ことだと思います。
「岬」、『枯木灘』というのは、根本的には私小説的ながらも、「もし上京せずに郷里に残っていたら」という、いわば可能世界的な設定と三人称による叙述が、虚構的な強度をもたらしているのですが、それが崩れてしまっているのです。
それを敷衍すると『地の果て』の問題は「刑期を終えて帰還した秋幸」のポジションが、中上自身と近づいてしまう、というところかもしれません。

ちなみに『異族』の連載第一回では「熊野集第二部」と付記されていたそうですが、多分、直前で構想が変わったんでしょう。そういうことが良くあったそうなので。