東浩紀による「筒井-春樹問題」

については、同時代ゲームの16日http://homepage2.nifty.com/jituzon/text/2003_11-2.htm#16や17日でも関連した興味深い話題が出てます。

ちなみに私が初めて読んだ大江健三郎の小説は『同時代ゲーム』。中学の多分、三年生の時。確か途中で挫折して『ピンチランナー調書』の方が一番最初に読了した作品だったような記憶。
正直言って、こういう読み方は思いっきり不幸なんで良い子はマネしないように。やっぱり『飼育』や『芽むしり仔撃ち』あたりの初期からが良いのでは。実は後者は最近になって初めて読んでるという…不幸だよなあ。

仲俣暁生http://d.hatena.ne.jp/solar/comment?date=20031108#c

つまり、本人の意思は別にして、80年代以降の現代小説の世界には「教祖」が二人いたわけです(まあ、大江、中上を入れると四人だけど)。で、それぞれに信者がいて、しかもその間の交通がなかった。阿部和重は良く考えると、この4人の間をすべて「交通」している唯一の作家のように思えてきた。

と書いてますが、ちょっと80年代末の個人的な状況は違っていたところがあって、長い話になりそうなところ、書ける限りで今日のところは書いておくと。
私は小学校6年の頃からミステリを読み出して中学に入って(80年代後半)、そちらの方面から筒井と小林信彦を知ったわけです(つまり『富豪刑事』と『紳士同盟』)。この二人は共に直木賞に落選まくった仲で、互いに評価しあっていた(小林が今は亡き文芸誌「海」の編集長に筒井を推薦したりということもあったらしい)。

この頃、もう既に筒井は純文学の方面にも進出していて大江とも近しかったり、後者が同人の「へるめす」に『文学部唯野教授』を連載したりということで、とりあえず大江につながる。
一方で小林信彦が褒めている春樹を、高校一年で読んで、かなりドップリはまったり。勿論、龍の方も、とりあえず読む。実は『コインロッカー・ベイビーズ』とか『愛と幻想のファシズム』とかピンと来なかったり。『69』とか『だいじょうぶマイフレンド』なんかが普通に面白かったです。
中上健次は何で読んだのかが思い出せないんですよね。柄谷よりも前に中上を読んでるんですが。間歇的につけていた読書ノートだと1991年(高校三年)の春に『枯木灘』を読んだ記録があって、その前に「岬」を多分、芥川賞全集版で読んだのだと思うんだけど。

で何が書きたいかというと、この頃というのは80年代よりも割とフラットに色んなものが読める環境があったんじゃないかな、ってことで、阿部和重というのは小説を熱心に読むようになったのが遅かったらしくて、同じ頃、それこそ『アメリカの夜』に書かれているようにバイト中に濫読してたんじゃないかな、ってことだったり。
東浩紀が同級生の女子に「「アニヲタ」は気持ち悪い」と言われて文学青年モードに入ったのも、そのちょっと前ぐらいなわけで。

(蛇足も蛇足だけど、中3の時、教師から筑波大付属を目指すように言われて、そんなの死にもの狂いにならなきゃ無理なのが判ってたんで、やり過ごしてノホホンと都立高校に入ったのを、東氏の「オタクから遠く離れて」(『郵便的不安たち#』所収)を読んでいたら、思いだした)。