上手くまとまらないまま、いつものようにダラダラと書く。

輸入権の問題というのは輸入盤を買わない人とっては興味のないことかもしれないけど、その根っこには皆に関係していることがあると思う。
それは、これが知的財産の保護という流れの一つの表れだというところにあるというのは、ムネカタ氏http://www.outdex.net/diary/が「知的財産の創造、保護及び活用に関する推進計画」http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/kettei/030708f.htmlに触れながら書いている通り。
これでも縁遠いと思ったら岩井克人の『会社はこれからどうなるのか』などを読むと良いと思う(って私もつい最近になってようやく読んだんだけど)。
かなり色んなことがクリアになる本なんだけど、大雑把に言えばポスト・モダンというのはポスト産業資本主義の社会だってこと。それは日本では80年代に入ってからのことなんだけど、アメリカでは60年代からとっくにそうだったということ。工業生産物に変わって、新しさ、差異そのものである「情報」が重要な商品になるということ。
その流れで情報をコピーする権利の重要性がクローズアップされて、ポスト産業資本主義の先進国であるアメリカは

自国の知的財産制度を、自国の資本主義と同様に、グローバル標準にしようとして多大な努力を払っています。

ということになる。

さて、こういう話の場合、日本だと「著作権の保護」という言われ方をしてしまうのが問題をわかりにくくしてしまうとことだと思う。
確かに本のような著作物の場合はコピーライトは著者が勝手に著作を出版されないようにするための権利になるのだけど、CDなんかの場合、最終的にコピーする権利をとりまとめているのは大体、レコード会社になるわけで。
だからコピーライトを「複製権」と言う風に訳すと日本語として理解しやすくなると思うんだけど、コピーする権利を持っている人が、いかに、コピーによって儲けを出すかというところが焦点になる。

例えば音楽ファンに身近な例で言えばThe Whoのデビューアルバム"My Generation"のオリジナル・ヴァージョンが長らく再発されなかったのは、その原盤権を持っている人物がOKを出さなかったからなわけで、それは多分、再発した際、自分がどれだけ儲けられるかというのを色々と検討した結果だと思うのだけど、それは彼には利益をもたらす行為だとしても、実際に演奏しているThe Whoの面々には不利益になる部分もあるし、リスナーにとっても同じく。

こういう風にコンテンツを製作するのに色んな人が絡んでくる音楽だとか、それから映画、ゲームなどというのは、アーティストや消費者の利益のほかに、というか、考えようによっては、それ以上に、実際にコンテンツを複製する権利をもっている人の利益が重要になる。
それによって「鑑賞と創造」の相互関係に歪みが生じる場合が多々、発生する、と考えていいと思う。

ただ、こういうことというのはアメリカとかでは、とっくに大きな問題になっていたことで音楽で言えば70年代後半の巨大産業化とそのカウンターとしてのパンクという歴史が、もう既にあって、比較して日本はまだまだ未熟だなあ、と感じずにはいられないわけです。