この前の日曜、友人と電話をしていて

自然と話題がイラク日本人人質事件に転じて、彼はのっけから「ジサクジエーン」と両者、正反対の意見になったのだけれど、その時、私が言ったのは「俺は人格には興味ないんだよねえ」ということでした。
「結局、あいつらバカだ、あの人たちは立派だ、というのも感情的になってるのでは同じだよ」と。
まあ私も、土日で済ませようと思っていた大事な用事をすっかり失念していたぐらいで、冷静ではなかったようですが。

やっぱり3日のタイム・リミットで、3人が拉致されているというのが辛かったんです。この前は不謹慎なような気がして書かなかったんですけど、もう「最悪の事態」を考えていたんですね。
もしかしたら一人づつ殺していって、繰り返し要求を出してくるのではないか、と。
そうなったら絶対、国内は色んな意味で混乱するだろう、それは怖い、と。

ただ土曜日、デモから途中で退いて、他の場所に向かう道で「それは無いな、もしかすると自衛隊撤退なしに解放というのもありうるかな」と、思い始めたのでした。
翌日、「解放へ」の報道があって、「やっぱり」という気にもなったのだけど、でも、「そんなには簡単には行かないんじゃないか…」と言う予測も頭をもたげて、実際になかなか解放されずにいた時には「やっぱり、こういういい意味でも悪い意味でドラマを欠いたジリジリしたものが現実というものだよなあ」という思いに至ったのでした。

ただ、「最悪の事態」はイタリア人の人質事件では現実になってしまっているわけで(タイム・リミットがあったかどうか判らないのですが)、これも現実の計り知れなさという、ことでしょうか。
とりあえず殺されたアメリカ人とイタリア人がどんな仕事をしていたかを考えると「区別」はつけているのが伺えますが。

そんなこんなで自分の先日来の主張と行動について反省的に考える部分はありますが、ただ「この時に、自衛隊撤退を声高に主張を繰り返すのは見苦しい」というようなのも主観的な表現すぎると思います。
更に二人の邦人が行方不明になっている他、各国の民間人が拉致されており、ファルージャの情勢が不安定な中、未だジリジリした状況で、どう考えていくのか。
確かにイラク人の一部勢力が民間人に被害を及ぼす手段を取っているのは赦されないことで、それを強く非難するのは当然ではあるのだけれど、米軍の圧倒的戦力の前に追い込まれている状況や、その攻撃によって、全くイラクの民間人に被害が無かったのか?、と言われればそうではないわけで、簡単ではないですね。