「オタク」というのを虚構イメージ・マニア

言い換えるのはどうだろうか。
昨日の前者をそのまま論述で使うことへの違和感を解消する方法の一つとして考えたのですけど。
例えば「収集」の問題を挙げてマニアと「オタク」の差異を説明したりるすることがあるんだけど、これだと連続性で捉えられる。
アニメの実体をセルと捉えれば、セルを収集する、もっとヤバイ方に行くと盗んじゃったりする人もいるわけだけど、虚構イメージとしてのアニメ言うのはセルとイコールではないから、ドミナントにはならない。それよりもビデオやDVDのソフトの収集の方が主になるわけだけれども、更には、よりモノから離れて、鑑賞者の主観の側のイメージの方が中心になっていくという流れが、それを上回る。というのも、作品としてのイメージというのは「所有」(もっと厳密言うと我有化と言ったほうがいいか)が困難だからで、それよりも、作品なしにイメージを主観的に反復的に想起することによって所有することの方が容易だから。
更に反復を容易にするために自分なりの物語を作る=二次創作。
「萌え」を虚構イメージ・フェティシズムと言い換える、というのも一つの案。
もちろん共同体としての「おたく」というのもあるんだけど、それは「虚構イメージ・マニアの共同体」と言い換えると、より判りやすい気がする。