m3さんとの[黒人音楽]を巡る議論の続き

だいぶ遅くなりましたが、ボチボチと行こうかなと思います(上の1977年のところにまとめています)。

まあ、前から考えてはいて、結論は変わらないんですが丁寧に書く時間が取れなかったもので…。

70年代ごろの和製R&Bについては『ミュージック・マガジン増刊 ブルー・アイド・ソウル』所収の湯浅学による「"和製R&B"の誕生から実験、定着まで」というのが参考になるんですが(本自体は白人によるソウルのCDバイヤーズガイド)、ちなみに、そこでの結論は

和製R&Bは、GS期に発し、70年代に隆盛し強化され、ディスコ以降は顕在化し、90年代にドリーム・カム・トゥルーや鈴木雅之久保田利伸らの登場によって、新たに定着し直した。

となってます。[定着し直した]って表現が微妙で素敵。

それから佐藤良明『J-POP進化論』ISBN:4582850081タにしてますので、明らかにしておいちゃいましょう。

さてm3さんが「70年代のほうが影響が強い」と言う理由が個人的には今ひとつ判然としない部分は変わらないんですが、「ミュージシャンの間のトレンドというか傾向を言ってるのかなあ」などと何となく思ったり。そうだとしたら何となく判るかな、というところもあるのですけど、その場合には、「かなり私と観点が違うなあ」、ということになります。
私の場合は、あくまで大衆レベルで考えていますので。

そういうわけで、とりあえず私の観点からm3さんが黒人音楽の影響が濃いとおしゃっている70年代歌謡曲の楽曲について考えてみたいんですが、その上で、黒人音楽の特徴を、まず抽出しておく必要があるでしょう。
これは難しい問題で、同じく私の観点からということになりますが、コード進行に頼らない。グルーヴ重視、というのを特徴だと思っているのは、今まで特記していたジャンルからも判るんじゃないかな、と期待するところです。

ロックン・ロールは単純な3コードとバック・ビートを強調したリズムを特徴としてました。
レゲエになると2コードというのもザラで、あの独特のリズムを刻むみますし、ファンクとならば1コードなんてのもあり、複雑なポリリズムを展開すると。
ヒップホップも1フレーズをループして繰り返してグルーブを作り出すわけですから、同じですね。

この方向性からすると、bpm120ぐらいでバスドラ四つ打ちというディスコ・ビートの流行は、ある意味、硬直化、保守化とも言えるわけです。付言しておくと、これを基本にして、よりリズムに複雑なニュアンスを加えたハウスのような革新的な方向性もあるんですけど、70年代後半に流行したディスコというのはシンコペーションを抑えていく流れであったと言って良いじゃないかと思います。

ということで、私としてはシンコペーションを伴ったノリ、グルーヴというものが日本の音楽に入ってきて、それが大衆的に受け入れられるようになってこそ、黒人音楽の定着であると考えたいと思います。

結局は近田春夫がよく言うところの構造的な問題になるんですが、やっぱり、その点では所謂ロック系の方が分がある。これは[歌謡曲]より[ロック]の方が優れているというころではなくて、後者の方がより構造的に同じものを作ろうと努力したってところですね。その点は評価しないといけないと思います。他方、当然、「そのまま」をやることがオリジナリティ等の面で問題がないか、ということもあるわけですが。

ちなみに近田春夫の考え方は『考えるヒット』(文芸春秋)のシリーズを読んでいただ
くのが一番、良いと思いますけど、手っ取り早くは萩原健太氏のページのアーカイブに書いてある[ベテラン音楽家氏]というのが明らかに近田氏ですね(直リンクだとアクセス解析されちゃうんでgoogleのキャッシュに)。

そこでm3さんが7/7で例に挙げているところを考えてみましょう。
湯浅氏が前記の文章で軽くしか触れていないピンク・レディから始めましょうか(済みません弱いところから攻めます)。
確かに黒人音楽の影響を受けているとは言えますが…音楽の構造を考える時にはサウンドを省いて考えると判りやすいので、そうしてみますと、まず彼女たちの歌唱から黒人音楽的なノリが感じられるかというと…これは難しい。まず彼女たちは元々はフォーク・デュオだったという根本的なところがあるわけですけど楽曲面で言っても「渚のシンドバット」と、その後に登場した「勝手にシンドバット」を両方、自分で歌ってみて、どちらがノって歌えるかと言えば、やっぱり後者であるのは否めないでしょう。ピンク・レディの方は何というか童謡っぽく感じられてしまう(くどいようですが童謡が駄目ってことじゃないですよ)。これはメロディと共にあるビート感がそういうものだからです。
ロック系が外来の音楽の構造をそのまま踏襲しようとしたというのは、そういうところなわけです。
同じく阿久悠−戸倉俊一のコンビの曲を歌っていた70年代前半のフィンガー5。作曲は井上忠夫のもありますが、こちらは米軍基地で鍛えただけあって歌唱は思いっきりファンキーです。サウンドもかなりイケてます。ただし、サビとかではメリスマを効かせる余地があるのですが、他のところではやっぱり童謡っぽくなってしまうところがある。イントロはファンキー始まるんだけど、歌い出しになると、いきなりグルーヴ感が減少してしまう、というのが「学園天国」等のヒット曲にもあります。
これを何故かと考えれば、日本語を乗せるためのメロディの作り方の問題だと思うんですね。
謡曲というのは今までの日本語の乗せ方を崩さずにメロディを作るという方向性だとすれば、ロックの方はそれが壊れてしまう。これは、はっぴいえんどからしてそうですし、フィンガー5と同時期のキャロルは英語を上手く取り混ぜて、シノいだ。これが、ある意味で安直に、巻き舌、英語混じりというところで定着してしまった部分がある、というのが日本のロックの問題なんですが、それもこれも音楽の構造的なものです。

和田アキ子についても私は大ヒットしか知りませんけど、その中で言えば、やっぱり70年代は歌謡曲的な楽曲を最大限にソウル的な歌唱で歌うということをやっていたと思います。
で、難しいのが筒美京平。まあ筒美氏の場合は80年代も重要曲が目白押しですし、特に個人的には70年代の作曲家という気はしないんですけど、また後日、続けてみましょうか。