70年代ディスコの話の続き

というわけでお茶の間レベルで「フィーバー」するようになった70年代末ですが、これを考えるとなると、主観的なところが入ってきますね。
正直、好んで聴こうとするあたりの音ではないので。
ということで他人の意見を、またこの前のページですが
http://www.soulfreak-jp.com/backnambar.htm
の46号に書いてあるようにディスコ・ビートというのはオン・ビートでもリズムがとれてしまうわけです。だから今までのソウル/R&Bに馴染みのない人でも全然OKだったりする、というのが流行の一因だったと。
ですから、お茶の間レベルに黒人音楽のテイストは確かに伝わっただろうけれども、それほど濃くはなかっただろう、というのが印象です。
「浸透と拡散」というやつですね。

ただ、もっと積極的に解釈すれば、このころから日本のロック系がメジャー化していくという流れに影響を与えているとも思えるわけで、ディスコを利用して登場したYMO然り、踊れるラテン・ロック系の「勝手にシンドバット」のサザン然り、山下達郎も最初に火がついたのはアイズレー・ブラザーズに影響を受けた「ボンバー」(これ自体はディスコ・ビートではなくて、もっとポリリズミックなファンクですけど)が大阪のディスコで人気になったのがきっかけですし。

だから「徐々濃くなっていった」というのが適当だと思うんですね。
やっぱり黒人アーティストの来日も景気上向きの80年代の方が多かったようですし。
http://www.netlaputa.ne.jp/~club-k2/eg/jimmykg/nishishinjuku14.html

と話が先走りましたが、やっと70年代歌謡曲へのソウル/R&Bへの影響という部分の私の考えを次回に。