60年代末から70年代前半のソウル/R&B

というのは、ヒップという言葉が似合うような状態だったのではないかと、推測してます。
以前、紹介したhttp://www.soulfreak-jp.com/backnambar.htmなどを読んでも、そのような感じで。
敷居の高いディスコという現場を中心として流通しているような。だから情報的には、なかなか少ない。
それが段々と大衆化して行きます。
昨日書いたフィリー・ソウルから登場した女性3人組スリー・ディグリーズというヴォーカル・グループがありまして、彼女たちはカーペンターズと同じくらい人気があったという話があり(「夜のヒットスタジオ」に初めて主演した黒人という話も)。実際、日本の企画で筒美京平が書き下ろした日本語曲「にがい涙」(1975年)はトップ20入りしたそうです。
この年の流行語に「ハッスル」というのがありまして、これはヴァン・マッコイがヒットさせたインスト曲のタイトルであり、同時にダンス・スタイルの名前。最近でも車のCMで使われていたので御存知の方も多いでしょうね。「ドゥ・ザ・ハッスル」という掛け声が途中で入る、あの曲です。
これが所謂ディスコ・ビート、bpmを120前後に統一して、バスドラム4つ打ちするスタイルのはしりだそうです。

ここからディスコが次第に大衆化、78年には映画『サタデー・ナイト・フィーバー』(「フィーバー」も流行語ですな)をきっかけに世界中でディスコ・ブームが巻き起こって、日本でも80年に入っても続く盛り上がりを見せた、とのことです。
(またまた続く)