1968年に日本で一般化したR&Bのその後

を昨日の続きで、また判る限りで。
えー、そのまま、すんなりとは行きませんでした。
70年代になるとハード・ロックに押されて人気が低迷した、という話を良く聴きます。まあオーティスが死んだり、精神的支柱だったキング牧師が暗殺されたりとソウル・ミュージックはターニング・ポイントに至っていた時期でもありましたし。
日本ではニューソウルと呼ばれた新しい流れが生まれる時期でもあります。
その頃、ファンク路線で一つのピークを迎えたのがジェームズ・ブラウンなんですが、日本での人気はどうだったんだろうなあ、というのがありまして、初来日の73年、名古屋公演では客が300人しかいなかったという話もありますし、http://www.fafafa.jp/holdon3.htm
客が、ほとんどみんなリーゼントで長髪は山下達郎近田春夫だけだった、なんて話もあり。ほんとに「コアな人」が好きだったという感じもあり。
この後から、またディスコが盛り上がったという話もあります。
フィラデルフィアオーケストレーションを駆使した甘美で小粋なサウンドが人気を博すようになる。
このフィリー・ソウルなんですが、昔ながらのソウル・ファン、まあサザン・ソウルが好きな人には「軟弱」と否定されたり、と色々あったようで。多分、そういう人はモータウンについては同じ事をいってたんだろうなあ、なんて推測します。
(多分、続く)