再びm3さんから反応を頂きました(03/27/2003)

http://homepage2.nifty.com/m3-chuwan/(03/26)
ありがとうございます。

「HMVでレコメンドされている」からといって、それを鵜呑みにするのではなく、最終的にはみんな自分の耳で判断して買っていたんじゃないですかねー。
特に邦楽のCDなんて、若いコにとっては安いもんじゃないでしょ??

まあ若年層は、そうでしょうね。私も金なかったなあ、ってバイトするのがイヤだっただけって話もあり。
確かに[自分の耳]で判断して聞くリスナーが増えた可能性は否定できないと思います。「今<渋谷系>がトレンド」なんて文句には、とりあえず眉に唾つけておくような、評論家の言葉も鵜呑みにしないような人たちがですね。

従来の音楽評に加えて、小売店での試聴、高音質のFMラジオと色々な選択肢が増え、音楽へのアクセスが手軽になったこと自体は悪くはない、というか根本的に良いことなわけで(ちなみに私の実家ではFM横浜はとりあえず聞けました。ノイズが多かったですが)。
それと歴史的な経緯とかよりも、全てを並列に捕らえる、大上段に構えればポストモダンな音楽の聴き方も、評価する点は多いにあります。

今のように、「最先端のもの」や「新鮮なもの」を探し出してくるのは、”ショップ”や”DJの人達”におまかせ、といった状況のほうが、実は正しいんじゃないか、って感じがするんですよね。

というのも、評論家も合わせて、そういう役割は絶対に必要ですよね。

そこで結局、大事なのはリスナーが[自分の耳]で、そこから選び取るってことなわけで。
仮に、そういうリスナーが増えたならば、店もDJも評論家も、緊張を持って、切磋琢磨して各方面が活性化していく…という明るい未来が見えてくるはずなんですが、でも果たしてそうなんでしょうか?
FMラジオが、あんなにトーク中心になったり、インターネット・ラジオがいまいち盛り上がらなかったり、っていう日本の状況は、何故なんでしょう?HMVに行くだけで自分の求める音楽を探し当てることができるのでしょうか?「最近の音楽は詰まらない」と繰言のように呟く人たちが、何故、こんなに増えるでしょうか。
なんて悲観的になってしまう今日この頃なわけです。
自分自身の反省も踏まえて。

だから逆に「アレは”渋谷系”だから」と構えてしまうのは、「”渋谷系”だから好き」っていう人達と、”表裏一体”というか(笑)、どっちにしろ”便乗商法”に乗せられてしまっている、という気がするんですよね(笑)。いや、分かるんですけど、「構造的にいや」というのは。

渋谷系〉というのは、もともと否定的に束にして語るため使われたのが最初という説もあるようなので、反応として「表」だったのかも知れませんが…。
まあ多少なりとも構えはしてたにしても、オザケンオリジナル・ラブも聴いてましたからね。ピチカートとかは「ちょっと偏見があったかな」というところもあって聴きなおそうと思っていた矢先のあの文章だったわけですが。

ただピチカートは音楽性の高さは別として、〈渋谷系〉=トレンドとして消費されてしまったような、その原因が彼ら自身にもあったような、そんな気もしないでもないです。これを考えるには、準備が必要なんで、とりあえず、ここでも私の「偏見」とお考え頂いて結構なんですが。

まあ、肯定的に〈渋谷系〉と言っていた人たちっていうのは、結局、マーケティングのために、そうしていたんでしょうね。それも音楽だけでなくて、もっと広い分野で。今だに、こんな本ISBN:4884970888わけですから。
もちろん音楽も商売ですからマーケティング自体は大事ですけど、それとはズレたところに、DJとか評論家とかの別の視点があるのも、これまた大事ということで。
で、最終的にはリスナーとミュージシャンが一番、大事っていう極めて平凡な結論に行き着くわけですが。