歌謡曲における黒人音楽の影響について(その2)

去年の後半はとんでもなく忙しくて、時間がとれず、大分、間があいてしました。
まあ上の1977年のところにまとめた一連の話題ですけど、もう一般論として。

昨年末、『スタジオ・ヴォイス』12月号の「ネオ・ソウル特集」を、やっと買いました。
これ発売された時、全然、気がついてなくて(何度も言うようですが、そこらへんをフォローできないぐらい忙しかったもので)、後で知って「あー、これでPool Radioの選曲したように思われちゃうじゃん」って思ったんですけど。
これで菊池成孔が次のように書いてます。

「どんなに頑張っても、日本人と黒人じゃノリが違うよ」というのは、現在では80%は信仰、真実は20%ぐらいじゃないかな。と思います。70年代以降、少なくとも録音技術と演奏技術は、日米の差は有りません。

その上で「20%の真実」を、

日本人が一番弱いとされていながら、アフリカでは最も基本的である6連譜の使用(ここで言う使用。は、単に6連譜で音を出すだけではなく、6連譜が4連譜と絡み、うねることで生じる、訛りというか、遅れやつんのめりのリズムの発生を包括して指します)

として、後者も先鋭的なヒップホップのMCなどでは当たり前になっていると書いてます。
このへん菊池氏は、他の人と違って「ズルっこ」ではないんですけど、音楽マニアになればなるほどバックトラック中心主義になってしまうんですよね。
謡曲の需要って80%、いや90%以上「うた」なのに。これはJ-POPだって同じことで。じゃなけりゃ通信カラオケで満足できるわけないですから。

そこで筒美京平に戻るわけですが、もう細かいことは良いから70年代と80年代の楽曲を聴き比べてもらえば一聴瞭然なんじゃないかな、と思います。
彼を語らせたら、もっと上手な方が沢山いらっしゃいますし。
とりあえず筒美作品における両年代の違いっていうのは御本人が編曲しているか否かで分かれます。この点は筒美氏自身が語っていることですけど、彼のやってきたジャズを基本にしたジャズのイディオムを基本にしたアレンジでは時代に対応できなくなったということです。
ただ、それでもデモで、ちゃんと基本アレンジはされていたということなんで凄いんですけど。
それからアイドルの楽曲が多くなるというのもあります。これが逆に面白い作用を及ぼしているような感じで、結局、トシちゃんとかマッチというのは複雑なメロディを書いても音程が取れない人たちなわけですから、そこを工夫をしつつシンプルなところで着地させて、一方、リズムの点でふくらみが出てきてるんですね。
特にトシちゃんの曲、「君に薔薇薔薇…という感じ」とか「原宿キッス」とか聴き直したら凄く良かったです。
メロディも含めて全体的に、70年代末のディスコ期とは違って跳ねた感じなってる、というか平坦に歌ったら、これほど詰まらない曲はないです。

ということで、こういう観点からすると70年代の方が80年代よりも黒人音楽の影響が濃い、とは私には思えないなあ、という最初の考えに戻るわけです。
御意見のある方は、何なりと言っていただきたいとは思いますが、とりあえず私の方としては、これでまとめという感じですね。