「偏見」について(07/31より転載)

遅くなりましたが、m3さんによる7/21の記述へのレスを(直リンクできることに気がつきませんで。以前のところ、それぞれ直すのは手間がかかるので、7/77/9分についてはまとめのページでだけリンクしました)。

後半も[黒人音楽]への自身の[偏見]を素直に書いているので、長く引用しました。

って書いてるでしょ?。いやこれって、

どうも黒人音楽というとすぐにエスニックなものなのだと思い込んでしまう先入観が僕らにはあるようだ。同時に、黒人音楽を特殊視し、神格化してしまう傾向も持っている。レゲエに対する誤解ほどひどくはないにせよ、大なり小なり僕らには黒人音楽を等身大にみようとしない習慣がある(P72)。

↑この部分のことを指している、ということでいいんですか?。

はい、そうです。

つーのもほら、この”偏見”っていう言葉自体、私の場合”あまり好ましくない印象を持っている”という意味に捉えてるわけなんですよ。で、そういった意味で捉えた場合、この渋谷陽一の文章は、”偏見について書かれたもの”にはあたらないわけ。
”特殊視し、神格化してしまう傾向”というのは、どっちかっつーと”あまり好ましくない印象を持っている”とは”逆方行”でしょ?。

元来[偏見]とは「偏った見解」という意味ですね。ある対象に対する[偏見]はそのある要素を過小に見積もっている場合もあれば過大にそうしている場合もある。
渋谷氏の文章の中の[特殊視し、神格化してしまう]というのは、前者にあたるでしょう。
例えば「独断と偏見」などという表現は頻繁に用いられますが、この際の[偏見]は、高評価の基盤になっている場合も多いですね。
確かに私が一番、最初の文章で用いた[偏見]というのは[あまり好ましくない印象]につながる[偏見]を想定していましたが、[神格化]ような[偏見]とそれは[誤解]を基礎としているという意味では表裏一体だと思います。

まあnaubooさんが”エスニック”というものに対して”あまり好ましくない印象を持っている”(そしてその印象というのは”一般的なもの”である、と考えている) というのでしたらまた話は違って来ますけどね。

よく読んでいただければ判ると思うのですが…。
[エスニック](民族的な)ものに対する価値判断以前に、渋谷氏の書いているのはレゲエもR&B等も[エスニック]ではなくて[大衆音楽]であって、それを[エスニック]とするのは端的に誤りだということですね。

この[誤解]は「黒人は大衆音楽を生み出すに至っていない(あるいは十分に至っていない)」という[偏見]から生じたかもしれない、または、その[誤解]から、そういう[偏見]が生じるかもしれない、という2方面の可能性がある。
それとは別の次元で[エスニック]なもの自体を、例えば「前近代的」と過小に評価する人もいるだろうし、例えば「近代に毒されてない」と言う風に[神格化]して過大評価する人もいるでしょうが、それらは両者とも[偏見]でしょうね。

若干、話が複雑になったでしょうか?
流れで、もう少し複雑な話にします。
最初の文章で私が書いていた[偏見]というのは[黒人音楽]に対するものではなくて、[黒人]に対するものでした。前回は判りにくくなるので[黒人音楽]=[黒人]として考えて頂いても良しとしましたが。
というのも[黒人音楽]を聴いているからと言って[黒人]に[偏見]がない、と単純には言えないと思うのです。また[黒人音楽]を聴いていないからと言って、[黒人]に[偏見]があるということでもない。
[偏見]というのは、状況によって複雑に生じるものだと思います。

う〜むしかしですねー、”スカやレゲエの誕生の経緯”っていうのはですねー、今でもほとんどの人、知らないと思いますよ(笑)
いや知っている人の総数は増えてるでしょうけど、それはリスナーの総数が増えたのに比例して増えただけであって、今でも大半の人は知らないでスカやレゲエを聴いてると思いますよ。

第一の例としては的確でなかったかもしれないですね。ジャマイカ人以外(特に日本人)がレゲエをやることが多くなったなどが大きいでしょうか。
ただ理由はどうであれ、根本は、レゲエを大衆音楽だと知っている人の数は増えているんじゃないですか、という話です。

まあそのような形で、”あまり好ましくない印象を持っている”という意味での”偏見”さえ無ければ、別に”情報の不足による[誤解]=無知、無理解”っていうのは、わたくし的には”全然OK”というか、「それで何か問題あるの?」といった感じなのですが。

むしろ知識がある人のほうが、おかしな偏見を持っていることが多い、という気がするのですけど、どうでしょう。水曜どうでしょう
”知識が無い”っていうのは、実は”先入観が無い”っていうのと同じことだったりとかもしますしね。

これも[程度]の問題ですね。情報が皆無なら、つまり黒人の存在自体を知らないなら偏見は皆無なのは当然ですけど、もう既に知っているわけですから。その上で情報が不足している場合は[偏見]につながる可能性は常にあると思います。現実の問題として「レゲエは民族音楽だ」とか誤った情報も流れてきたりするわけですから。
[偏見]というのは「差別」とは、また違ったことですから、私としては[偏見]というのは、致し方ない知識の不足から生じたりする部分で必然的に起こりうることだと思ってますし、特に糾弾しようとかそういうことじゃないんです。
ただ、それで[OK]じゃない状況もありますから、問題視しているわけです。

意識的に黒人を見るのは、”オリンピック”の時ぐらいで(笑)

そういう状況も、十分に黒人に対する偏った認識を作り出すと思うんですね。
こういう政治的な話は御好みではなさそうなので、このへんで。ただパンクとなれば、もろ政治がらみで、最初から、そういう話だったのですが…。

結局、そもそもの話は、私の最初のメモの記述が粗雑で判りにくかったのでm3さんは、「naubooは70年代後半、日本では黒人音楽の影響は極めて薄かったと言っている」と解釈されて、7/7の記述をお書きになった、ということなんじゃないかと、推察するんですが、いかがでしょう?
そうであれば、先述のように、そんなことを無くて「程度の差」で現在を70年代より大としているだけです、ということです。
多少、70年代を過小評価していたかな、という気はしますが、m3さんのように現在よりも70年代を評価するとまでは行きません。
これは、なかなか答えはでないでしょうから、私としては、ゆっくりと考えていこうかな、というところです。黒人音楽総体をどう捉えるか(あるいは、そう[黒人音楽総体]というかたちで捉えられるものなのか)ということもありますし、色んな観点がありますから。この点は他の方の意見も訊いてみたいところですね。